読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

No.2【ポケモンGОと仏教】

時事ネタと仏教

 ARと仏教は意外と相性がよい。

 ARとは、いうまでもなく、Augmented Realityの略称。

  日本では、「拡張現実」と訳されましたが、今年の夏、この技術を応用して世界的に大ブームを引きおこしたのが、〈ポケモンGО〉でした。

  (1)カメラが映し出す「現実」の映像をスマホの液晶画面に表示させる。

 (2)そこへCG合成したキャラクター映像をかぶせる。

 (1)は現実、(2)は虚構の表示映像ですが、(1)と(2)が重なり合った結果、ユーザーは「現実世界」が「ポケモンワールド」になった感覚を楽しめることができた。 

 ただ、現実と虚構の境を蒸発させて拡張現実(ポケモンワールド)を生(せい)の営みの場とするARは、今後、ただでさえ希薄になりつつある現実と仮想現実(バーチャル・リアリティ)の垣根をかぎりなくゼロ化してゆくと思われます。

ポケモンGО〉は「遊び」という生の営みを舞台にしたものでした。

 が、いずれは、街角でポンと手を叩くと虚空にタッチパネルが真幻のように現われ、飛行機や病院の予約をし、終わって手を叩くと消える、という時代が確実にやってくる。

 つまり、「ビジネス」や「病気の治療」といった、遊び以外の生の営みにおいても「現実」と「虚構」の境の蒸発はあたりまえになる。

 ですが、仏教徒はぜんぜん平気です。

〈現実と虚構の境の蒸発? だから何なの?〉

 ってなもんです。 

 そもそも「現実」と「虚構」の間に区別をつけるのがおかしい。一切は「空」であり幻影のようなもの。「現実」もまたそうであり、われわれはただ便宜的に「現実」と名づけているにすぎない――そう考えるのが仏教の立場。

 こうしてみると、ARと仏教の相性は「意外と」どころか、初めからとてつもなくよいと言うのが正しいかもしれませんね。