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No.7【仮想通貨と仏教】

時事ネタと仏教

 

「時事ネタと仏教」のコラムでは、何回(というか毎回)「空」の思想についてとりあげました。

ここで、結局「空」とは何かについて、あらためておさらいをしておきましょう。 

その際、役に立つのが、最近なにかと話題の〈仮想通貨〉です。 

 仏教が説く〈空〉の原語は古代インドの、〈シューニヤ〉という言葉です。

これはインド数学の「ゼロ」からきているもので、「ものが〈空〉である」と言えば、ものがゼロであること、つまり、「ものが固定的で不変の実体を欠く」という意味として用いられることになりました。

 日本が六世紀以来輸入した大乗仏教がこの「空」思想を目玉にしたことは、第一回目のコラム「『君の名は。』はとても仏教的」で記した通りですが、この〈空〉をインド人がどこから発想したかについては、一つの面白い説があります。

「〈空〉は貨幣から思いつかれたものである」

という説で、宗教学者保坂俊司さんがお書きになっていた(今までのところ、ほぼほぼ無視されているようですが)。

しかし、ホントの話、貨幣とはフシギというしかないものです。 

 そして、では、そのフシギさがどこからきているか? と考えてゆくと、〈実体性の徹底的な欠如〉という貨幣が本来的にもつ性格に行き当たる。この点は貨幣の歴史をふりかえるとよくわかります。 

  どういうことかというと、貨幣の貨幣たるゆえんは、その実物における、〈形式の無制約性〉、カタい言葉ですが、要はどんな物でもその形として投入できるところにある。

たとえば、金・銀・銅などの金属でもよいし、石や貝殻でもよいし、紙でもよい。

 つまり、貨幣の価値はどうみてもその形式そのものにはない。それは、

〈これは価値があるのだ〉

という無根拠な断定、フィクション(虚構)の取り決めが生んでいるということがわかってくる。

 そしてこの貨幣の本来的な〈仮想性〉、これを明確に教えてくれるのこそビットコインなどの、仮想通貨(Virtual Currency)にほかなりません。

 米国では暗号通貨(Cryptocurrency)〉という呼び名の方が一般的なようですが、この発明者たちは、〈インターネット上に流れる情報〉を通貨(=貨幣)とみなした。みなすことで、金・銀・紙といった貨幣の形式がもつ素材性をかぎりなくゼロ化した。したことにより、結果として、

〈実体性の徹底的欠如〉

という貨幣なるものが当初からそなえた「本質」を見せつけることになったというわけですね。

 思えば、仏教徒は昔から「空」を表わすたとえとしてさまざまなものを用いてきました。

夢、幻、陽炎(かげろう)、蜃気楼(しんきろう)、稲妻etc.

 ですが、二十一世紀の今日において、これらはイメージ的にいささか牧歌的すぎる印象はいなめない。

 いまや「空」のたとえとして最もふさわしいもの、それは、〈仮想通貨(Virtual Currency)〉ではないのか? 

 ブロックチェーンの技術的ブレイクスルーがもたらす仮想通貨の未来から目が離せそうにありません。