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No.10【マウスイヤーと仏教】

時事ネタと仏教

「マウスイヤー」という言葉があります。

 少し前までは、犬は人の7倍の速さで成長することからドッグイヤー。いまは人の18倍の速さで成長するマウスの名を借りてマウスイヤー。 

 IoTのコンセプトの提唱者である坂村健教授は21世紀に入ってからの情報通信技術のイノヴェーションの例を列挙しています。

スマートフォン技術

クラウドコンピューティング

ビッグデータ処理

グリッド・コンピューティング

ディープ・ランニング 

 教授が人類は「マウスイヤー」に突入したと言うのもわかる気がします。

 たった16年でもうこの数ですから。

 ただ、これをみて、人生がマウスのようにあっという間に飛び去る時代がきたとムナしくなる人がいるかもしれませんが、そう早々と決めこむ必要もないのではないか。

 というのは、時間の長さというのは意識が決めるものだからです。

 皆さんも覚えがあるでしょうが、小学生の頃は一日がやたらに長く感じる。そして齢をとればとるほど一日は短く感じられ、気がつけば終わっている時間となる。

 六十歳のときの人の時間は十歳のときにくらべて平均二倍半の速度で進むそうです。

むろんこれにはきちんとした理由があって、要は経験の蓄積量の違いです。

 子供は人生の経験が少ないので、日々が未知の領域(「新しい事」)だらけになる。その学習と対処のなかで必然的に時間は長く感じられる。

 一方、高齢者は経験の豊富な分、既視感情が発達する。たいていのことについて、「ああ、あれか」となるため、一日は矢のように過ぎ去る。

 イノヴェーションがしょっちゅうあるということは、いい大人がこと「時間」にかぎっては子供のような状況に置かれることになる、つまり人生は長くなる。これが一つの可能性。

 ただ、――以下は私見ですが――もう一つ別の可能性もある気がします。

「新しい事がしじゅう起きると新しさはなくなる」という逆説です。「ああ、またか」の世界になる。

 加えて、――これは坂村先生も書いてましたが――21世紀のイノヴェーションの「小粒」感がある。

 飛行機、コンピューター、人間の月探査といった20世紀のイノヴェーションにくらべ〝圧倒的飛躍感〟にとぼしい。

 チマチマしたイノヴェーションの連続が既視感と予測可能性を刺激するだけに終わり、人生は短くなる。

 この二つのうち、はたしてどちらに転ぶか。わたしは何となく後者になるような気がするのですが、断定はできません。

 ちなみに、仏教の時間論では、

「時間は実体としてあるのではなく、思惟のなかにのみ存在する」(『空七十論』)

 とされる。時間が人の意識(「思惟」)の産物であることは自明視されてきました。

 が、裏からみれば、これは意識つまり「気」のもちようで時間の長さなどいくらでも操作できますよ、ということですよね。

 考えてみれば、人生の経験は「情報通信技術」のみに左右されるわけではありません。

 それはあくまでわれわれがもつ経験の一部です。

 なんでもいい、興味のある分野で新しい事を見つけてやろうという意識が一日の、ひいては人生の長さを決定するのかもしれませんね。