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No.11【IoTの時代と仏教(1)】

時事ネタと仏教

 2015年から2016年にかけては、やたらに「IoT」時代の到来が騒がれました。 

 2016年の2月には前回のコラム「『マウスイヤーと仏教』」でふれたように坂村健先生が、『IoTとは何か』という本をお書きになった。 

 何しろ坂村先生は2007年に、『ユビキタスとは何か』という本をお出しになって、この世界では「神」(technology guru)のようなお方ですから、結局、この2月の本がキメの「総括」になったらしく、一カ月後に再版もでて反響が一わたりした前後から「IoT」をめぐる熱気は急速にクールダウンした。 

 もちろんこれはIoT時代の到来がコケたのではなく、その逆。

 IoTなど「もはやあたりまえ」という心理的インフラが出来あがったということだと思います。

 IoT社会は、コンピューターを組み込まれた「モノ」同士がインターネットを通じてコミュニケーションする、「はじまりも終わりもない関係性の社会」です。 

 大乗仏教ではこの相互反映的な関係性を、

「縁起」

 と呼んできましたが、これは仏教の生みの親のインド人たちが用いた、

「プラティートヤサムウトパーダ」

 という語の訳。英語ではDependent Co-ArisingとかArising from causationなどと訳されたりします。

 この「関係性=縁起」の哲学を樹立したのがナーガールジュナ(一五〇~二五〇)というこれもインドのえらいお坊さんですが、かれの主著である『中論』はこんな文章で始まることで知られています。

「はじまりも終わりもないところの関係性の教えを説かれたブッダに敬礼する」

 ナーガールジュナは、大乗仏教の祖として讃えられる学僧です。大乗仏教徒にとって世界が「はじまり」も「終わり」もない「関係のネットワーク」の別名であることは、以来「あたりまえ」だと思われてきたわけですね。