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No.19【マインドフルネスのブームと仏教(5)】

時事ネタと仏教

 

三つめは、それに関連して「仏教隠し」の姑息さの問題です。 

 が、これについては、結論からいえば、仕方がないと思います。

いまさらの話ですが、宗教は近代以降もはや絶対的な存在ではありません。

 相対化されて「文化」の一部(「宗教文化」)になってしまっている。

 そんなところで、「本当の宗教」 をもちだしたところで、心に響くものはあまりないでしょう。 

 ただ、だからといって「本当の宗教」の看板を捨て去る必要もまたない。自殺行為になるだけでしょう。

 では、どうするか?  

結局、必要なのは、「本当の宗教」をきちんと保持しつつ「禅の哲学」が「現代文化」のもつ接点をだれにでもわかる形で積極的にアピールすることじゃないでしょうか?

 これまでこのブログで書いてきたタイトル、「日本のヒューマノイド文化と仏教」「AIの時代と仏教」「初音ミク仏教」「IoTの時代と仏教」を一目みていただければわかりますが、仏教の「関係のネットワーク」の世界観、これは、IoTをはじめとするテクノロジーが二十一世紀の人類に「自然に」はぐくみつつある世界観と間違いなくシンクロする側面をもっています。

 そしてこの世界観こそ大乗仏教の世界観にほかなりません。 

 なぜなら、「関係のネットワーク」論とは「空」の理論です。

「空」の理論を哲学化したのは、だれあろう大乗仏教の祖のナーガールジュナです。

良くも悪くもテーラワーダ仏教にこれに匹敵する哲学者はいません。

 わたしも現代のテクノロジー文化と「空」理論のリンケージ・シーンに関心をもつ者ですが、日本のお坊さんにこの分野のカリスマがでてほしい。

それができれば風景ががらりと変わると思います。

 さきにのべたように、日本には――人口減少にともない廃寺がふえているとはいえ――コンビニより多くの寺があります。

 そんななかで一人や二人、

「袈裟を着た林先生」(註・林修先生)

が出現するのを期待してもバチはあたらないと思うのですが、どうでしょうか?

マインドフルネスはいま「黒船」ととらえられています。

が、それでストレス減少につながり、ハッピーになれるのならば全然けっこう、文句を言う筋合いもありません。

ただ、妙なコダワリは捨ててもっと風通しのよい議論を心がければ、仏教ももっと楽しくなるということですね。