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No.22『現代アートと仏教』(1)

時事ネタと仏教

 

 現代アートが、〈わからないもの〉の代名詞になったのはいまや昔話です。

というのも、現代アートが、「わからない」を通り越して、〈なんでもアリ〉の代名詞になってすでに久しいからですが、そうなった理由はほかでもありません。

それは、現代アートが、「芸術」(註・十九世紀までの西洋芸術)への異議申し立て、

〈解体運動〉の所産として生まれたからです。 

 そして、この解体運動(芸術家自身による自己解体運動)の歴史はすでに百年以上もあり、そのなかで最も、〈エポック・メイキングな事件〉として有名なのが、一九一七年のニューヨーク・アンデパンダン展での出来事。

 フランス生まれの芸術家マルセル・デュシャンが男性用便器に「R.MUTT」(リチャード・マット)と署名しただけの「作品」を出展した事件でした。

 この「作品」には『泉』という人を食った名前がつけられていたため、「デュシャンの泉事件」ともよばれます。 

これは当時大変なスキャンダルになりましたが、一方、似たような事件は現代音楽にもありました。

 現代音楽は、これまた頭でっかちな、「頭で味わう」ものになっていますが、デュシャンの「便器」事件に匹敵するものを一つあげろといわれれば、米国の作曲家ジョン・ケージが一九五二年に起こした、

〈『四分三十三秒』上演事件〉

 がそれでしょう。

『四分三十三秒』は音が一切ない沈黙のみの曲で、同年の八月、ニューヨーク郊外のウッドストックにあるコンサートホールで、ピアニストのデーヴィッド・テュードアによって演奏されました。

 この日、舞台に現われたテュードアは、ピアノのふたをあけると、ストップウォッチをとりだして、ケージの書いた空白の「楽譜」を無言で読み、きっかり四分三十三秒後たつと、無造作にふたを閉じて舞台をでていった。

(To be continued.)