読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

No.28【ポリティカル・コレクトネスと仏教】

時事ネタと仏教

 

 今回はPCの話です。

 といっても、パソコンではなく、ポリティカル・コレクトネ(political correctness)の方。

 特定のグループ、とくにマイノリティの人々の感情を傷つけないように言葉やふるまいに配慮することで、たとえば、パプリックな場面で、

「メリー・クリスマス」

 という挨拶言葉を、

ハッピー・ホリデー

 と言い換えることになったのも、PCのコードにひっかからないためだとか。

 なんだか、めんどくさいですねェ!

 まあ、このブログは日本人相手に日本語で書いてるお地元密着のローカルブログですから、どっちでもいいですが。

 そのPCが世界一めんどくさい米国でツイッター大好きのトランプさんが大統領になって二か月近くたちました。

 トランプさんという人はアンチ・リベラルの人ですから、PCが大嫌いらしい。

おかげでメリル・ストリープさんをはじめとするトランプ嫌いの人々からは、米国社会に、

「分断と不和」

をもたらした元凶として非難される身になったことはごぞんじの通りです。

米国社会の「多様性と寛容」の国民神話に泥を塗ったというわけなのですが、こうしたトランプ批判をみて思い出される言葉があります。

それは一九六〇年代の初め――昔話で恐縮ですが――にマーシャル・マクルーハン(カナダの文明批評家)が広めて世界的に有名になった「グローバル・ヴィレッジ」という言葉です。

マクルーハン博士は当時「メディアの予言者」と呼ばれた先駆的な人物でした。

「グローバル・ヴィレッジ」はその著書『グーテンベルクの銀河系』のなかで語られたものでした。一言でいうと、

「電子的ネットワークの発達により、情報が地球上いつどこでも手に入る結果、地球全体が一つの村(ヴィレッジ)になること」

をさしています。

 生まれたときからインターネットがあった世代(デジタル・ネイティブ世代)の人々には「なんだそんなことか」と思われるかもしれませんが、マクルーハン博士がこれを言い出したのは一九六二年。

 いまから五十五年も前のことでしたから、当時としては大変斬新な主張。「グローバル・ヴィレッジ」はたちまちメディアを通じて流行語になりました。

 さて、そのマクルーハン博士が「グローバル・ヴィレッジ」を発表した後、『Hot&Cool』のインタヴューに答えてこんなことを語っています。

 

「グローバル・ヴィレッジという条件が生みだされると、それだけ裂け目や不和や多様性も生みだされる。まちがいなくグローバル・ヴィレッジは、あらゆる地点で最高度の争いを確実なものにする。……村は理想的な平和と調和の場所ではなく、まったくその反対なのだ」(浅見克彦訳)

 

 マクルーハン博士の時代に情報を地球上いつでもどこでも、「リアルタイム」に入手し共有できるツイッターは影も形もありませんでした。

 マクルーハンの洞察は発表当時より今日の世界にこそあてはまるものだというわけですが、「分断と不和」をもたらす元凶は、「グローバル・ヴィレッジ」の構造自体にあることがわかるでしょう。

 トランプさんはそれを露悪的かつコミカルに(つまりプロレス的に)体現しているだけ。だれがリーダーになろうが、「分断と不和」は進むだけだと思われます。

  •    *    *

 ところで、このようなトランプさん的な毒舌キャラで、大衆の喝采を浴びる人物を日本で探すとなるとだれでしょうか?

 いまの政界にはさすがにあのスケール感に匹敵する反逆児キャラはいなさそうですが、昔の日本人でよいというならば、一人思いつく有名人がいます。

一休宗純(一三九四~一四八一)

 がその人です。

 応仁の乱という「不和と分断」の時代に、その天下無双の人を食った毒舌と破天荒なふるまいで人気者になった禅の坊さんで、一休和尚の名で死後も長く親しまれることになりました。

 かれの言行はのちに「一休法語」という形でまとめられましたが、真偽不明の伝説の多いのが特色です。

 人がめでたがる正月にわざわざドクロを付けた杖を片手に歩き回り、

「門松は冥途(めいど)の旅の一里塚」

 の教えを説いたという有名な話がありますが、研究者によるとこれは作り話のようです。

 同じように有名な逸話で、本当にあったのは盲目の美女を愛人にしたという話の方。

 森女という名の旅の女芸人でしたが、知り合ったとき一休は七十歳、森女は三十代前半。

 一休は彼女とセックス三昧の生活にふけり、「吸美人婬水」(美人の婬水を吸う)などと題したポルノまがいの漢詩(艶詩)を数多く詠みました。

 いずれにせよ、一休の言動に「ポリティカル・コレクトネス」などクスリにしたくもありません。

 そのことが逆に、世間に流行る偽善をあざ笑う、

「スカッとジャパン」

 の坊さんヴァージョンとして、長く愛されることになったわけです。

 応仁の乱は戦国乱世の「底抜け」の序曲となり、その意味で一休は時代の予言者になりました。

 米国社会はよくも悪くも世界の縮図といわれます。 

SNSなどによる「底抜け」が世界的に構造化したいま、ツイッター好きのトランプさんの登場がどんな近未来の到来を予言しているのか、考えてみるのも面白いかもしれませんね。

(次の更新は3月16日です)