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No.30【ポピュリズムと仏教】

時事ネタと仏教

 

 日本の中世にもグローバル化があったということをごぞんじですか?

 これは歴史家の與那覇潤さんの『中国化する日本』(二〇一一)がとりあげたことで、〈歴史ファン〉以外にも知られるようになりましたが、中世といっても、

〈平安末期~鎌倉初期〉

 西暦でいえば、

〈十二世紀末から十三世紀初期〉

 にかけてのこと。

 政治的には平家政権から源氏政権への転換期をふくみますが、〈国際派〉の平家政権は貿易商人・海賊と結んで、対外的な開放政策をとっていました。

 この場合の「外」とは中国――世界的帝国の「宋」(の国際貿易圏)――を意味しますが、その結果、当時の国際通貨である〈宋銭〉が日本の国内市場に洪水となって流入し、〈日本の標準通貨〉になります。

 これは今日の時代に直せば、国際基軸通貨の米ドルが日本の標準通貨になることを意味しますが、一方で、こういう〈非日本化現象〉が国内的な反発をうむのもまた自然な話。

 保守的な公家貴族の一部からはいわゆる金銭万能主義への批判、

「近日天下上下の病悩はこれを銭の病と号す」(『百錬抄』)

 という貿易の〈オープン化〉の副作用(「国のかたち」の溶解)をめぐる怒りが噴出することになります。

 ここに、

グローバル化〉vs〈ナショナリズム

 という現在の世界情勢を特色づける対立軸の中世版を見出すのはそうむずかしくないでしょう。

 ただ、興味深いのは――これは與那覇さんの本にはでてきませんが――この時代には、それに並行して、

エスタブリッシュメント〉vs〈ポピュリスト〉

 というもう一つの(今はトランプさんで話題の)対立軸が先鋭化していたことで、以前のコラム『ミニマリスト仏教』(1)(2)でとりあげた鎌倉仏教の「革新的」宗祖たちの多くは、

〈大衆に迎合するポピュリスト〉(「俗情と結ぶ不逞の輩」)、

 あるいは、いまの言葉でいう、

反知性主義の煽動者〉

 の烙印をエスタブリッシュメントから押されることになった。

 エスタブリッシュメントとは一般に政財界をふくむ既成のエリート層をさして使われる用語ですが、ここでは、当時の京都の政界と癒着的に一体化した〈知性の殿堂〉である比叡山を中心とした勢力の意味です。

ミニマリスト仏教』でふれたように、法然日蓮は流罪の憂き目にあいました。それは直接にはこの「煽動」の罪によってでした。

 また、一遍は、流罪にこそなりませんでしたが、〈危険人物〉とみなされて鎌倉幕府から鎌倉への立ち入りを拒否されました。

 鎌倉仏教の特色は、既成の学問仏教が権威によりどころとした、

〈古典的な教養知〉

 を時代にそぐわないので無意味とし、学問とは無縁な民衆に対し、だれにでもできる、

〈最小限の「行」〉

 をおこないさえすれば救済されると請け合った点にありました。それが平安朝以来の教養の権威を守ろうとする伝統仏教側からの〈反知性主義〉の助長者のレッテル貼りにつながったわけですね。

 もっとも、法然日蓮、それに一遍は等しく知性にめぐまれた人物ぞろいで、比叡山が〈反知性主義〉とみなしたものは、実際には〈知性の相対化運動〉にすぎなかったのですが。

 十二世紀末から十三世紀にかけての第一次グローバル化は、従来型の〈古典的教養〉の「知」が有効性を失う、

〈知の地殻変動

 に揺れた時代でした。

 これはぶ厚い読書体験に基礎づけられる、

〈近代的教養の知〉

 が衰退し、スマホ的な情報メディアによる、

〈web社会の知〉

 にとってかわられようとしている今の時代に通じる変動だったといえるかもしれません。

 日本のメディアでは〈ポピュリズム〉というと、第二次世界大戦前の、

反自由貿易運動の高揚→世界大戦の勃発〉

という〈歴史の教訓〉をもちだすのがお好きなようです。

 気持ちはわからなくありませんが、歴史の比較の対象を現代史に限るのはもったいない話ではないか。

 歴史を近世以前にさかのぼらせ、

〈米ドル〉―〈宋銭〉

 あるいは、

〈教養知〉―〈仏教

といったより個別的なテーマごとに比較を試みるとき、海外のメディアの焼き直しとはちがった形でさらに面白い議論の広がりを期待できるのではないでしょうか。

TVをつけたらたまたまメディアを「フェイク・ニュース」と罵るトランプさんの顔がでてきたせいでしょうか、〈ミニマリスト〉のコラムを書きながら、そんなことを考えました。

※次の更新は23日です。