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No.31【「プロジェクト・ゼロ」と仏教】

 

 仏教哲学の「空」という概念は、

シューニヤ」

 という「ゼロ」を意味するインド語を中国人が漢字に直したものであること、また「空」は伝統的に、

「空っぽ」(emptiness)

 あるいは、

「真空」(void)

 という言葉でも表現されてきたことは、このブログでも何度かふれてきたところです。

 それに関連して、三月中旬にでた米国の「ワシントン・ポスト」紙に面白い記事がのっていることを知りました。

〈多くのインド人にとって、ゼロは多くのものを意味する〉

 というタイトルで、ラマ・ラクシュミという人が書いた記事です。

 インド人は「ゼロ」を発明した国民であることを誇りにしています。

 事実、記録に残るかぎり五世紀にはインドの数学者たちは十進法ベースで「ゼロ」を使っていたことが研究者により確認されています。

ワシントン・ポスト』紙の同記事によると、インドにはインドの「ゼロ」の起源を探るために組織された『プロジェクト・ゼロ』という学者による国際的な研究チームが存在する。

 その一人のオランダ人の学者は、インドの数学者が「ゼロ」を使い始める以前からヒンドゥー教仏教哲学で「空っぽ」や「真空」の概念が用いられてきたことをふまえて、つぎのようにのべています。

「われわれは、『ゼロ性』や『空性』(空であること)といった文化的概念をずいぶん昔のインドの哲学、芸術、建築において見出している。われわれはそれらをさかのぼることにより、そうした哲学と数学を歴史的につなぐもの(bridges)を探したい」

記事によると、『プロジェクト・ゼロ』のメンバーは四月にニューデリーで、「キャンプ・ゼロ」と銘打った三日間のブレイン・ストーミングを開催し、そこでは数学者や哲学者のほか、宇宙物理学者、考古学者、貨幣学者など幅広い分野の参加者が歴史的な文献、石板、印象などを調査するという。

 興味深いのは、記事がインド仏教の三世紀の哲学的テキストには「空性」についての詳細な詩が発見できるとしていることで、これは当ブログでも折にふれてとりあげた、「空」思想の理論モデルの確立者、ナーガールジュナ(一五〇~二五〇)の『中論』などの著作をさすものだと思われます。

 また、「インド数学のアルゴリズムが文献上紀元前一世紀にはすでに存在していた」との説も記事では紹介されています。

「ゼロ」というのは古くて新しい概念です。

 電子テクノロジーの発達がわたしの言う「ゼロの汎神論」を地球規模の情報空間に出現させつつあることは、当ブログでくりかえしのべてきました。

「ゼロ」はある意味で人類が見出しつつある「未来の神」だといってもよいかもしれません。

 経済的グローバル化の信奉者は、よくそれについて、

「後戻りできない」

 という言葉を用いますが、この形容詞が最もよくあてはまるのは、むしろ現在進行しつつある、

「ゼロの汎神論の支配」

 についてではないでしょうか。

「ゼロ化」のプレッシャーは、いずれ今日最も頑固な狂信、イスラム原理主義者の「底」を抜くでしょう。

 いや、本当は、その宗教的な自己欺瞞の深化という形で、かれらの気がつかない間にすでに抜きつつあるのかもしれません。

インドが国際社会で政治的・経済的な覇権を握ることは考えにくいところですが、その「哲学」の世界制覇の方はどうか? それはもう起きつつある気がしてなりません。

 インドの『プロジェクト・ゼロ』が最もカネと時間を費やすべきは「ゼロ」の歴史の追求ではなくて未来の世界に向けての「汎神論的ヴィジョン」の方かもしれませんね。

 ※次の更新は3月27日です。