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№35【オランウータンの人権と仏教】

 

「空」というのは世界の底を抜く概念です。

 世界は「もの」が多元的に組み合わさって構築した産物です。

「空」はその「もの」と「もの」との区分を一挙に「ゼロ化」してしまう。

 最新作の長編『騎士団長殺し』(二〇一七年二月)が話題の村上春樹さんのデビュー以来の長編の底にも、

「空」の世界観

 が流れているのは、その一見非仏教的なイメージを考えると面白いところです。

「空」が区分を廃棄する「もの」に制限はありません。

「空」の底抜けとの格闘――最後は負けるとわかっているがゆえの身ぶり(ジェスチャー)もふくめての――が、デビュー作『風の歌を聴け』以来、いわゆる「村上らしさ」の一部となってきたわけですが、

「空」が区分を廃棄する「もの」に制限はありません。

 そして、「空」がもつその圧倒的な無制限性に対する無力感、そこに生まれるのが、

「否定を通してのナルシシズム

 ともいうべき甘美なセンチメントです。

 実際、村上さんの諸長編には主人公が鏡の自分をのぞきこむ場面がよく登場します。

 今回の『騎士団長殺し』でも、本文が始まって50ページも進まないうちに、主人公の画家(「私」)はそれぞれ違った場所で三度も鏡に映る自分の顔を見つめていて、読みながらなんだか嬉しくなりました。

 むろん、「空」思想が変化をもたらすものはナルシシズムだけではありません。

「空」思想が(無意識にせよ)人々の思考の枠組みを浸すとき、それがもたらすのは、

「ゼロの汎神論」

 とわたしが以前から呼んできた、「もの」同士の区分をめぐる確信が「ゼロ化」のなかで無限にあやふやになってゆく世界です。

以前のコラムでもふれた「空」の底抜けの世界ですが、そこではたとえば、人間とサルの区分も蒸発してしまう。

 これは冗談でもなんでもありません

、実際に、「ゼロ化」の潮流が、その遠くない将来に人間にもたらす運命を示唆する事件が、少し前の南米でありました。

 二〇一四年の十二月にアルゼンチンで起きた、

「人間」/「オランウータン」

 の区分の革命的な廃棄事件です。

 アルゼンチン国内のある裁判所で――事案は不明なのですが――オランウータンへの扱いがからんだ訴訟で、オランウータンに、

基本的人権の一部」

 を認めたのですねェ。

 しかし、「ゼロの汎神論」の世界観からすれば、合理的といわないまでも、べつにあっておかしくない判決だということになる。

 そういえば、村上さんの代表作『海辺のカフカ』は人間と猫との区分が廃棄された世界を描いていました。

 アルゼンチンの裁判所の「オランウータン」判決は突飛なものとして世界的なニュースになりました。

 しかし、あと半世紀もすれば、この判決に人々が驚く時代があったことに人々が驚く時代がくるのではないか。

「ゼロ」のもつ最大の効果はあらゆる種類のヒエラルキーのフラット化です。

 村上文学はここでも「預言のオルゴール」をかなでているというわけですね。

※次の更新は4月10日です。